オーストラリアのニューサウスウェールズ以外の場所では、チャーチスト運動が与えた衝撃も、それほど目立つ動きを見せてはいませんでした。


南オーストラリアでは、1851年に選挙権連合が結成されました。


この連合には伝統を重んじ、信仰心の厚い非国教徒が目的とした、宗教に対する国家補助の廃止、普通選挙、無記名投票、年1回の定例議会開催等を初めとする、人民権章から取り上げられた綱領がもりこまれていました。


しかし、この運動はあまり大きな影響を及ぼしませんでした。


南オーストラリアの住人の中には、チャーチスト運動の本拠地である北部の工場労働者や手ばた織工といった階級の人がほとんどいなかったのです。


その多くは、イングランドののどかな田園生活をそのまま実践している様な人々でした。


1830年代末から40年代の初めにかけて南オーストラリアにやってきた主な移民団の75%はイングランド出身者で占められていたのですが、ダービーシャー等の北部出身者はその中の5%にも満たなかったのです。


南西部の州、コーンウォール、デボン、サマーセットの出身者が15%を占め、グロースターシャー、ウィルトシャー、ドーセットそしてハンプシャー出身が20%、一方、残る35%は、ロンドン近郊諸州に散っていました。


ほとんどの人は田舎育ちでしたが、地方都市での生活は経験していたと思われます。


南オーストラリアの人々は、イングランドの地方部をまねた田園地帯を作り出そうと努めていました。

日本でも岐阜県から、およそ二億年前の化石が見つかっている。

しかし、哺乳類の時代、新生代になると、だんだんと衰えて、現在では深海に約二〇種が生存しているにすぎない。

中生代から新生代にかけて魚やカニ、新しいタイプの貝類が勢力をのばし、原始的な形のオキナエビス類は、それらとの生存競争に負けて、深海で細々と生き長らえるようになったと考える研究者もいる。

現在、相模湾はオキナエビスの生息する場所として世界的に知られている。

生きている化石は大昔の姿を今も残している生きものである。

そして、生きている化石を研究することによって、大昔の生きものがどのように生活していたかを知ることができる。

つまり、生きている化石は進化の謎を解くカギであり、わたしたちの貴重な財産なのである。

一〇〇年ほど前のことである。相模湾に面した東京大学臨海実験所に、熊さん(青木熊吉氏)という名採集人がいた。

当時の東大教授を通じて大英博物館からオキナエビスの仲間の採集を依頼された熊さんは、数か月かけて、やっと生きた一個体を採集し、東京へ駆けつけた。

教授は褒美として熊さんに三〇円(当時の東京市内の一戸建の家賃が月に約四〇銭)を与えた。

熊さんは「長者になった」と大喜びし、「名前はどうするか」と聞く教授に「長者貝はどうか」と答えた。

以来、今でもオキナエビスはチョウジャガイの別名でも知られている。

オキナエビスの仲間は、今から五億年以上も昔の古生代カンブリア紀に出現した。

そして、古生代から、恐竜の時代、中生代にかけて大繁栄をした。

ウミユリは深海の岩の上に付着して生活し、その姿はまさに海のなかに咲いた百合の花のようである。

色も形も鶏の脚にそっくりな茎をピンと伸ばし、クラウンという花のような部分を傘のように大きく広げ、プランクトンや有機物を漉し取って食べている。

ときには魚などに襲われることもあるが、そのときはトカゲのシッポのように枝やクラウンの、部を自切する。

とはいっても心配無用、自切した部分は何度でも再生することができるのである。

ウミユリの仲間は、今から五億年ほど昔の古生代オルドビス紀に出現した。

自切と再生という作戦をもったウミユリ類は、弱肉強食の海のなかでも、その形をほとんど変えることなく生き続けていくことができたのであろう。


科学技術と開発は地球上のいたるところで、多くの動植物を絶滅に追い込んできた。

しかし、生きている化石が、これからも生きている化石であり続けるよう願いたい。

シーラカンス(正式な呼び名はラティメリア・カルムナエ)、オウムガイ、カブトガニ、オキナエビス、メタセコイア。
これらはすべて有名な、生きている化石である。

生きている化石とは、長い時代にわたって形をほとんど変えずに生き続けてきた生きもののことである。
相模湾はオキナエビスやトリノアシといった、生きている化石の生息地としても有名である。

「トリノアシ」を知っているだろうか?
中華料理に使われる「鶏の足」のことではない。
深海にすむウミユリの仲間で、名前は「百合」でも、れっきとした動物のウニやヒトデとともに棘皮動物の一員である。

名前もユニークなら姿・形も、生活様式もユニークである。

この湾の様子は足柄山地をつくる地層の足柄層群のなかに化石として残されている。

この湾は、はじめは非常に深く、現在の山北町谷峨付近でさえも水深一〇〇〇メートル以上に達していた。

谷峨付近に分布する泥岩には、ケショウシラトリガイ、キヌブクロガイ、ソデガイの仲間、キララガイの仲間など、現在の相模湾では水深数百メートルよりも深い深海にすむ貝類が化石として含まれている。

この泥岩層の上には足柄層群を特徴づける厚い礫岩層が重なっている。
この礫岩層には、ハマグリ、アサリ、カガミガイなど内湾にすむ貝類、さらに浅い入江にすむマガキのカキ礁の化石が数十メートル以上の長さにわたって発達している。

これは、丹沢の麓まで達していた最初の深い相模湾が、丹沢から押し出される多量の礫や砂によって急速に埋め立てられて、遠浅の内湾に変わっていったことを示している。

相模湾ができたのはいつごろだったのだろうか。
その誕生は、南の海から北上してきた伊豆半島が、丹沢山地に衝突した、およそ一〇〇万~七〇万年前のことである。

それ以前の、およそ二〇〇万年前、丹沢と伊豆の間は海峡になっており、遠州灘を北東に流れる黒潮がこの海峡を通過して、丹沢の南東山麓を洗い、南関東へ達していた。
丹沢山地は、まだ現在ほど高い山ではなく、関東山地に続く山地となっていた。

厚木付近から愛川町中津、相模原市神沢にかけては、単調な砂浜海岸が形成され、そこにはベンケイガイ、ダイニチフミガイ、サブスウチキサゴなどの静岡県掛川地方で知られる暖流系の貝類が分布していて、それらは現在、中津層群から化石で見つかる。

伊豆半島の衝突によって、半島の東側に相模湾、西側に駿河湾ができ、最初の相模湾は丹沢山地の前面にまで広がる大きな湾だった。

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あるレシピブログ載っていた塩キャラメルソースなるものが、
とっても魅力的に思えたので、家にある材料だけでソースを作ってみました。

が!大失敗(>。<)

作った手順と材料を防備メモとして書いておきます。

◆塩キャラメルソース材料
お水・・・200cc
きび砂糖・・・大さじ4
自然塩・・・小さじ1

1.鍋にお水200ccを入れて沸騰させます。
2.沸騰したらきび砂糖大さじ4を入れて溶かします。
3.中火の強でグツグツと水気を飛ばしてカラメルソースを作ります。
4.トロトロになったところで自然塩小さじ1を加えます。

味をみて完せ・・・・・・・・おぇ。

塩キャラメル用の塩は海の塩ではなく岩塩系がいいと思います。(爆)

ソースによく使う隠し味

・チョコレート
・オレンジジュース
・ヨーグルト
・レモン汁

ソースは微妙な分量でとっても味が変わってしまいます。

そこがソース作りの面白さでもあり、
大変さでもあるんですけどね!

上の隠し味は和・洋・中どんなソースにも、
よく使う隠し味の材料なんですが、
レモン汁以外は、あくまでも隠し味程度に、
留めておかないと、
悲惨な味になってしまいますので、ご注意を!

仮に失敗してしまっても、

「失敗は成功のもと」

楽しみながら「みらくる☆そーす」を開発しちゃいましょー!

ムースのようなまろやかさが味わえます。
タルタルソースよりもヘルシーで栄養価も高いです。
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材料 ( 作りやすい分量 )
アボカド 1個
サワークリーム(なければ室温にもどしたクリームチーズで◎)
100g(1パック)
マヨネーズ 100g
レモン汁 小さじ1と1/2
コンデンスミルク(またはハチミツ)
小さじ2〜お好みで調整
塩 小さじ1/3
こしょう 適量

1
アボカドを皮つきのまま丸ごとレンジで1分半加熱する。
中を割るとキレイで鮮やかな緑色になってるハズ!
(熱いので注意!)
2
材料すべてをフードプロセッサーにかけるだけ。
練乳でまろやかさを出します♪
好みによって甘さと塩の量は調節して下さい。