オーストラリアでは、移民を希望する人に対し、家族からの援助だけでは足りない者には政府がこれを補うようになっていました。
1830年代後半から、1850年代初頭にかけて、政府の補助を受けてニューサウスウェールズにやってきた移民は、そのほとんどがアイルランド人で占められていたそうです。
オーストラリアにおけるアイルランド人社会のアイデンティティーは、宗教と結びついて保たれる様になりました。
1829年、英国では完全な形で市民の自由が認められ、オーストラリアのカトリック教徒も新たな自信に満ちあふれていました。
アイルランド人の精神を支配していたのはローマカトリック教で、アイルランド移民の数が増すにつれ、司祭の数も増加するようになりました。
オーストラリアのアイルランドローマカトリック教は、その他の社会と比べ、特筆に値するほど団結力が強かったのです。
英国国教会は、名目上多数派を誇っていたものの、信徒の宗教に対する関心は次第に薄れていきました。
長老派教会はスコットランドとオーストラリアで宗派の分裂をおこし、勢力を弱める傾向にありました。
メソジスト派の信仰は厚かったものの、南オーストラリア以外の場所にはあまり信徒がいなかったのです。
プロテスタントの領域と規模と比較しても、ローマカトリック社会は決して遜色をとらず、また、他の社会から孤立していたために、一段と結束力を強めていきました。