2010年8月アーカイブ

19世紀には、教育に対して熱意を抱くことが人格者としての要件であったとするなら、謹厳であることもまた1つの要件でした。


19世紀の英国では、酔っ払いの数が、1つの社会問題にまでなっていました。


1850年までには、人口1人あたりが、年間約3ポンド(6ドル)近くもの金を酒のために費しました。


この額は、平均的労働者の年間家賃を上回る額です。


酒の消費が増大したため、社会の安定性に不安を投げかけ、またこれが、犯罪の主要原因となっていると考えられました。


1830年代には労働者を酒から遠ざける試みがなされました。


シドニーでは、1837年までに禁酒紅合が結成され、8年後には3、000人の人々が、酒を断つことを誓いました。

1839年までには、シドニーにもマンチェスター・ユニティの支部が設立されました。


また1840年代に英国で最初に設立された住宅組合に基き、これと似た相互扶助組織も結成されています。


組合員の払い込んだ金を元手に、組合員は順に、住宅建設資金の交付を受けることができました。


この考えがシドニーに導入されると、好況時には職工達ですら、英国にいた時には、とても手が届かなかった土地を手に入れることもできる様になりました。


シドニーの観察者は、1840年代が終わろうとする頃までには「サリーヒルズ、チッペンデール、パイルモント、バルメインといった場所に、つつましやかな住宅の一群が出現した。」と記しています。


自立は、相互扶助を目的とする団体の規定にとどまっていたわけではありません。


知的、道徳的向上をはかるという意味もありました。


教育を受け、それを実生活に応用させることが自立した人間の理想となりました。


そのため、職人階級の人々を教育する技術専門学校が創設されました。


しかし、この様な専門学校には、実務についている労働者が入学するケースより、自分を向上させることを願う、中産階級でも下の部類に属す事務員などが入学してくるケースの方が多かったのです。


ヘンリー・カーマイケルは、功利主義を伝導したイングランド人、ジェレミー・ベンサムの薫陶を受け、1830年代、1840年代を通じ、ニューサウスウェールズの成人教育に多大な貢献を果たしました。


カーマイケルは1833年に、シドニー技術学院を設立しますが、同校は、「ニューサウスウェールズ全体にとって有益な知識である科学、その他の学問を普及させる。」ことを目的としていました。


しかし本来の目的としていたシドニーの技術工があまり入学しなかったため、カーマイケルは次策に不満を募らせていきました。