2010年4月アーカイブ

この湾の様子は足柄山地をつくる地層の足柄層群のなかに化石として残されている。

この湾は、はじめは非常に深く、現在の山北町谷峨付近でさえも水深一〇〇〇メートル以上に達していた。

谷峨付近に分布する泥岩には、ケショウシラトリガイ、キヌブクロガイ、ソデガイの仲間、キララガイの仲間など、現在の相模湾では水深数百メートルよりも深い深海にすむ貝類が化石として含まれている。

この泥岩層の上には足柄層群を特徴づける厚い礫岩層が重なっている。
この礫岩層には、ハマグリ、アサリ、カガミガイなど内湾にすむ貝類、さらに浅い入江にすむマガキのカキ礁の化石が数十メートル以上の長さにわたって発達している。

これは、丹沢の麓まで達していた最初の深い相模湾が、丹沢から押し出される多量の礫や砂によって急速に埋め立てられて、遠浅の内湾に変わっていったことを示している。

相模湾ができたのはいつごろだったのだろうか。
その誕生は、南の海から北上してきた伊豆半島が、丹沢山地に衝突した、およそ一〇〇万~七〇万年前のことである。

それ以前の、およそ二〇〇万年前、丹沢と伊豆の間は海峡になっており、遠州灘を北東に流れる黒潮がこの海峡を通過して、丹沢の南東山麓を洗い、南関東へ達していた。
丹沢山地は、まだ現在ほど高い山ではなく、関東山地に続く山地となっていた。

厚木付近から愛川町中津、相模原市神沢にかけては、単調な砂浜海岸が形成され、そこにはベンケイガイ、ダイニチフミガイ、サブスウチキサゴなどの静岡県掛川地方で知られる暖流系の貝類が分布していて、それらは現在、中津層群から化石で見つかる。

伊豆半島の衝突によって、半島の東側に相模湾、西側に駿河湾ができ、最初の相模湾は丹沢山地の前面にまで広がる大きな湾だった。